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第2回 大学1年のことを思い出して

更新日:2021年1月13日

藪野健画「旧音楽長屋と体育局とグラウンド」2020年4月
藪野健画「旧音楽長屋と体育局とグラウンド」2020年4月

今日はふと大学1年のことを思い出しました。旧音楽長屋と体育局。動と音の場
藪野健

 早稲田には様々な場が形成されている。1960年代初めて出会ったのは「動」と「音」の場だ。

 1年生の時保健の実技と講義が必修だった。入学式が行われた記念会堂の脇を通って体育局とグラウンドに通った。保健体育はいろいろな学部学生が一緒だった。受講者は1年生だけではなく4年生やら留年生もいて実にバラエティに富んでいた。上級少年少女から初級おじさんおばさんまで揃っていて教室やグラウンドはまるで小さな町のようであった。伝統なのであろう、年齢、男女、出自など一切不問である。自由闊達で屈託がなくすぐ友人ができた。50数年も経つ。しかも会えばその当時の年齢のままの語り口で付き合いが続いている。私が登録した講義は大西鐵之祐先生と日比野弘先生で、実技は通年のハンドボールとシーズン科目のワンダーフォーゲルだった。どれもそれまでにない講義であり、実技であった。講義の授業ではラグビーの試合の組み立て、15人全体が理解しての瞬間の判断と連続して途切れない動きの具体例を聞いているとまるで実戦の舞台にいるようでリアリティがあった。

 ハンドボールもワンダーフォーゲルも動きと共に人とのコミュニケーション、瞬時の読み取りが要求され、今も自分を動かしているように思う。ハンドボール実技の場は体育局の前のグラウンドであった。実際にやってみるとハンドボールのハードなこと。まるで手を使えるサッカーくらいの運動量でしかもめまぐるしい。

 時折大音響が鳴りひびき驚いた。ドラムのテンポが練習にぴったりあったり、トランペットのリードで走ったりすることになった。ラテン、モダンジャズ、ハワイアンが一度になることもあり、何か集中する時に音楽がかかせないものとなりそれも今に至る。

 グラウンド脇の建物は。音楽の部室だったのだ。音楽長屋と言われていた別世界なのである。友人を訪ねて入ったその平屋建ての建物はいささかくたびれてはいるが堂々として立派なことに目を見張った。梁といい、開口部の重厚なこと。威圧的で品がいい。見とれてしまった。

 記念会堂のあたりはかつて第一早稲田高等学院の校舎が建ち並んでいた場所であった。1945年(昭和20)5月25日の山手空襲で全焼した。しばらくはグラウンドとして使われていた。1950年(昭和25)年、隣り合わせの旧陸軍近衛騎兵連隊敷地と焼け残った兵舎1350坪が学苑校地となり、音楽長屋それにグラウンド、体育局となったのだ。今は学生会館が建ち、記念会堂は早稲田アリーナとなってこの風景は一切ない。

藪野健画「戸山キャンパス地図」2020年5月
藪野健画「戸山キャンパス地図」2020年5月

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