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事業・概要

最終更新日:2015年3月4日

「再開発」とは

一般に「再開発」といえば、私達の身近で目にとまるものとして、例えば、駅前広場・幹線道路の整備と併せた商店街の改造や事務所ビルの建替えなどが考えられがちですが、この種のものばかりでなく、住戸の規模が狭く、整備や構造が老朽化した住宅の建替え・一部改善とか、チビッコ広場や歩行者専用道路をつくり、地域の生活環境を良くすることも「再開発」の一つですし、災害の危険や公害の防止のために既成市街地の中から工場を移転させ、跡地を高層住宅団地などにつくり替えることも「再開発」の一つです。また、ヨーロッパやアメリカのように古い歴史的な建築物を街並みとして保存させる必要がある地区において、建築物の外観を保存しつつ、建築物の内部を現代の生活にマッチした居住環境に近代化するなど街全体の改修と保存を図る「再開発」もあります。
つまり、広い意味に解釈しますと、「再開発」とは、ある時代に一度人間の手でつくられた街や建築物を再び新しい時代に合った利用形態につくり直したり、改修・保存したりすることによって、活力溢れる豊かなまちづくりを推進する事業です。

府中駅南口地区の事業概要

京王線府中駅南口地区は、市の業務・商業の中心として府中駅の開設とともに自然発生的に発展してきたまちで、そのため道路は狭く、商店と住宅が混在した過密地域であり、老朽化した木造家屋も多く、また道路等の公共施設は未整備で、防災上からも危険な状態にありました。このような状況から道路・広場等、公共施設の整備、商業の近代化、防災に強い街づくりと合わせ、市の表玄関としての顔づくりを再開発の手法により進めていくことになりました。
昭和48年度、昭和49年度にAからFの6地区(48・AからD、49・E、F)8.1ヘクタールを対象に再開発基本計画を策定し、研究啓蒙活動が活発に行われてきたもので、昭和51年から57年にかけて再開発を具体的に進めるための準備組合が、A、B、Cの3地区に設立されたのと併せ、8.1ヘクタール内の公共施設整備計画の決定をしてきました。
昭和55年7月には、一歩先に京王線府中駅付近の高架事業が認可され、これとともに市の表玄関としての総合的な都市づくりを進めるために、駅に近いA、B、Cの3地区約3.8ヘクタールを先行して、高架事業と一体的な整備を図ることになり、昭和57年12月市街地再開発事業の都市計画決定がされました。

中河原駅北口の事業・概要

京王線中河原駅は、府中市の西南部に位置し、南は多摩川、北には中央高速道路が走っている。
再開発前の中河原駅周辺は、都道18号線が南北に走っていましたが、駅前広場がないことや、住居・店舗が混在し、木造老朽家屋が多く、外周道路も狭いなど都市防災の観点からも早急な整備の必要性が高く、その立地条件から、周辺地域のコミュニティの中心としての整備が望まれていました。
また、タクシーは都道の端でお客を待ち、バスも停まる所がないような状況で、地元住吉町をはじめ、日新町、四谷、分梅町、南町地区の市民は日常生活において足の不便を感じる毎日でした。
そのような中、駅前に居住する方々が、地域の発展と市民生活の向上を目的に、昭和59年10月に駅前再開発事業の準備組合を設立し、事業がスタートしました。
権利者は長い間住み馴れた土地であり、そこから離れるのは大きな抵抗もありましたが、地域発展のため快く理解していただき、平成元年1月組合設立に至りました。
事業地区内には多くの方々が住んでいましたが、近くに代替地を確保し、全ての方々に移転していただきました。
その後、平成5年3月には、いよいよ施設建築物に着手、国、東京都、府中市が支援し、平成7年2月にオープンしました。

お問合せ

このページはまちづくり拠点整備推進本部 分倍河原駅周辺整備担当が担当しています。

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