友好都市ウィーン市ヘルナルス区だより「ウィーンのおいしい水道水はアルプスのわき水から」(平成22年8月1日号広報掲載)
最終更新日:2016年3月30日
「ウィーンのおいしい水道水はアルプスのわき水から」ローベルト・プレーガー氏(元ヘルナルス区長)
春から秋に設置される給水機
ウィーンでは、紀元後100年ころから既にローマ人が、ウィーン南の郊外(現在のペルヒトルツドルフ、グンポルスキルヒェン地方)からわき
初めてウィーンに水道管が引かれたのは、1553年のことです。1565年にはヘルナルス水道が引かれ、皇帝の宮殿をはじめとして、旧市街の一部の建物や現在のヘルナルスからホーエマルクトにあった井戸館に水が供給されました。
このヘルナルス水道は、最も多い時で一日あたり12000立方メートルの水を供給していましたが、天候などの影響で年月とともに、一日あたり約45立方メートルまで減少してしまいました。1707年には、当時の帝国政府がヘルナルスの水道に更に水源を供給する工事を計画し、約25年後、ウィーンの森を水源地とし、ヘルナルスを流れるアルザー川から水が組み込まれました。しかし、これによりアルザー川は
幾つもの水道を設置したものの、水不足は依然解消されず、18世紀に水をおけに入れて売る「水男」「水女」が、当時のウィーンのまちの風物となりました。さらに、約1万個の井戸の汚染が原因で、ペストなどの疫病も流行しましたが、1804年に、アルベルティーナ水道とフェルディナンド皇帝水道の開設により、やっと町へ良質な水の供給道ができるようになりました。ヒュッテルドルフからウィーンに敷かれたアルベルティーナ水道は、ウィーンの森からのわき
しかし、これも1850年にウィーンの周辺部が、大都市への進展として合併を始めると十分ではなくなり、1864年に、ウィーン議会はアルプスのわき
その後、1900年にウィーンから180キロメートル以上離れたアルプスのホッホシュワープ地帯にあるシュタイアーマルク州のザルツ谷を水源地とするウィーン第2わき
ヨーロッパの中でもアルプスのわき
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