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府中市美術館 Fuchu Art Museum
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展覧会概要

更新日:2008年1月28日

関西美術院の名は、関東では今日余り知られていませんが、では「関西美術院」とはどんなものだったのでしょうか?

明治39年に開設された関西最大の洋画学校で、日本近代洋画の逸材を多数輩出した。
初代の院長には浅井 忠、教授には鹿子木 孟郎、伊藤 快彦、都鳥 英喜。
学生には足立 源一郎、黒田 重太郎、津田 青楓、梅原 龍三郎、安井 曽太郎、須田 国太郎、里見 勝蔵、向井 潤吉など関東でもなじみ深い画家達がこの関西美術院に学んでいました。

関東と密接な関係があった「関西美術院」とは、明治・大正時代にあってどのような位置づけにあったのでしょうか?

まず、左の表をご覧下さい。何か難しそうな図表となっていますが、これは明治から大正時代にかけて、油絵つまり西洋式画法を学ぼうとしたとき、どんな学校と、美術団体、それに関西美術院の院長たちが学んだ経歴を矢印で示したものです。東京と京都の間を縫うように盛んな画家たちの交流があったことがわかります。

関東での洋画研究

明治7年には、日本で初めてイギリスに西洋式絵画を学んだ國澤 新九郎が帰国後に建てた塾「彰技堂」がありますが、この他にも「私画塾」(私立の塾)がいくつもあり、最初の西洋式絵画の研究は、公立ではなく民間の人々の努力によって支えられていました。公の機関として工部美術学校(イタリア人画家フォンタネージを招き)開設されると、それまで私画塾で学んでいた青年画家たち、特に小山 正太郎や浅井 忠らが学び、敬愛する師、フォンタネージが帰国すると、彼らは自分たちで会を起こし(十一会や不同舎など)、師の教えである「自然に学べ」を、実践し武蔵野の田園風景を鉛筆画で活写していきました。

「洋画研究冬の時代」

ところで、明治11年来日したA・フェノロサが日本画を擁護すると、まず学校で生徒に、鉛筆で絵を教えるか、毛筆で絵を教えるべきか、という論争からはじまり、次第次第に西洋式絵画への批判、やがては油絵の展覧会出品拒否など、西洋画研究への排斥運動までもが行われるようになり、「冬の時代」をむかえました。けれども、洋画研究者たちは、全国の洋画家たちに呼びかけて、明治22年に明治美術会を発足させ、その3年後には明治美術学校を開設(浅井 忠や本多 錦吉郎らが教えた)し、再び日本の自然に学び、熱心に日本の風土や風俗を描き、今や失われつつある日本の美しい風土に暮らした人々の情感を伝えるとても貴重な作品になっています。

また、黒田 清輝の帰国と白馬会の立ちあげによって、フランスでの新たな潮流「外光派」(新派)を日本伝えると、明治美術会は、ほぼ二つに分裂し、残った人々は旧派と呼ばれるようになりました。この時期に浅井 忠は、フランス留学後、明治35年に関西に居を移し西洋式絵画の新たな日本的展開を試みようとしたのでした。

関西での洋画研究

明治洋画の研究は東京だけで進められていった訳ではありませんでした。すでに京都でも、明治13年には、京都府画学校(現在の京都市美術工芸学校)ができその中に「西宗」(西洋式絵画)が設けられ、小山 三造や田村 宗立らが教えました。中沢 岩太が初代校長を勤める京都高等工芸学校(現在の京都工芸繊維大学)が明治35年に開設されると、中沢の求めに応じて京都に移った浅井 忠が、教鞭を執り、図案を教えます。この時、浅井は優れた水彩画ばかりでなく、アール・ヌーボもフランスで学んでおり、これもまた実際の自然=植物の生命力に源を発する美術様式で、これを伝統工芸の盛んな京都に持ち込む契機となりました。図案を学んだ間部 時雄もその時の学生でした。

浅井は聖護院美術研究所を開き、住友家の協力を得て、武田 吾一設計の関西美術院を創設して、京都に洋画研究の拠点を築いたのでした。画家達の願いは、日本らしい新しい絵画をつくること。それは、伝統的なものを油彩画という表現の中で再構築することといえます。そうした一つの代表作として浅井 忠「武士の山狩」を頂点として数えることができるでしょう。

明治34年に開院してから大正末までに入学した学生数は約1,500人を超えます。
しかし、その正確な入学者はわかっていませんでした。
そこで、今回の展覧会に合わせ同院に残る「入学者名簿」を紐解き、紹介します。
この中には、京都出身の安井 曽太郎、梅原 龍三郎、里見 勝蔵、須田 国太郎など日本近代洋画壇を代表するそうそうたるメンバーが多数含まれています。

安井 曾太郎は願書に「私儀今般貴員へ入学仕候に付ては終始御規則を遵守するは素より教職員の指導に反せず専心修学可致候依証書如此候也」と一文を書き入学しています。単なる技術取得の場ではなく、教職員の指導が極めて重要であって、むしろ学校というよりは、やはり塾や寺子屋的な教場であったことが伺い知ることができます。

今回の展覧会では、こうした京都の関西美術院で洋画を学んだ画家達の作品を約200点ほど展示いたします。東京ではなかなか見ることの少ない、京都洋画壇の傑作をどうぞご堪能ください。

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