府中市の遺跡
最終更新日:2008年1月18日
府中の地名は「国府の中」に由来します。
国府とは、古代(今から1,200年から900年前)の各国ごとに設置されていた役所のことで、府中市には武蔵国(むさしのくに)を治めていた役所が置かれていたわけです。古代の武蔵国(むさしのくに)は、現在の東京都と埼玉県と神奈川県の一部を含む規模であり、それを治める古代の都庁ともいえる役所がこの府中市にあったわけです。
その厳密な中心は、現在まだ明らかになっていませんが、大国魂神社東側の京所と呼ばれる一帯にあることは、まず間違いなさそうです。
武蔵国府関連遺跡の中からは、この役所のほかに、国府に勤める役人たちの館跡、また国府に関わって集まった人々の住居跡や工房跡・墓などがみつかっており、現在見つかっている住居跡の数から復元すると、京王線府中駅を中心とした美好町以東・東府中駅以西の地域は、古代における武蔵国内(むさしのくにない)で最も人口が集中していた地域であったものと想像されます。
他に、武蔵国府関連遺跡の中には、
- 白糸台周辺に古墳時代後期(今から1,400年ぐらい前)の白糸台古墳群
- 東府中駅東側には縄文時代中期(今から5,000年ぐらい前)を中心とする集落跡
- 東府中駅南側には古墳時代前期(今から1,600年ぐらい前)を中心とする集落跡
- 大国魂神社周辺の旧甲州街道沿いには江戸時代(今から300年から100年前)の宿場跡
- 大国魂神社南側には縄文時代中期を中心とした集落跡
- 東京競馬場内には縄文時代の集落跡、
- 分倍河原駅西側には古墳時代後期の高倉古墳群
- 本宿町の第五小学校周辺には縄文時代中期を中心とした集落跡
が、古代の遺跡と重複して存在しています。
府中市には、甲州街道沿いにのびる武蔵国府関連遺跡のほか、北側の国分寺市(こくぶんじし)との隣接部分には、武蔵国分寺跡関連遺跡が存在しています。武蔵国分寺の中心的中心的な施設は国分寺市域(こくぶんじしいき)に存在しますが、武蔵国分寺僧寺の中門より南へ延びた参道跡や、その南端に位置する参道口を示す門柱状の遺構などは、府中市域に位置しますし、国分寺造営に関わったと考えられる集落なども府中市域で見つかっています。
他に、
- 旧石器時代の朝日町遺跡
- 古墳時代後期・近世の朝日町神明台遺跡(あさひちょうしんめいだいいせき)
- 縄文時代の武蔵野公園遺跡・浅間山前山遺跡・天神町遺跡・新町遺跡
などがあります。
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