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正宗得三郎《素園小景》

最終更新日:2020年7月17日

正宗 得三郎「素園小景」

まさむねとくさぶろう そえんしょうけい
昭和35年(1960年)油彩・キャンバス
80.4センチメートル×65.3センチメートル

 展示室で、ひときわ明るく伸びやかにそして愉快な輝きを見せる正宗得三郎の油彩画たち。なかでも強烈な色使いで異彩を放つこの《素園小景》(画家の小庭を指す)。この絵の独特の赤には、どこか心掻きむしられるような色彩の表情があります。画家の庭先で、この上なく深紅に紅葉するナナカマド。その赤色をかりて正宗は一体何を語ろうとしたのでしょうか。この絵を制作して一年後に正宗は病を得、その半年後、79歳の生涯を静かにとじ、府中に永眠しました。
 正宗は、日本における色彩画家の重要な一人として評価されるべきでしょう。何故なら、明治43年若干27歳の正宗は、東京美術学校において、明治の天才洋画家青木繁を慕って坂本繁二郎や森田恒友らとグループをなした後、新聞誌上で正宗独自の絵画理論『色彩の音楽』を発表しているからです。自らの絵は自由な色彩で音楽のように奏でてみたい。この青春期の強い思いは、フランスの印象派やフォービスムを直接モネやマチスから学んでも、さらに文人画の巨匠、富岡鐵斎に心酔してもなお、正宗の独自の絵画を生涯貫く原動力となっていたのです。
 太平洋戦争に際しては二紀会戦後の再興を約して会を閉じた正宗も、空襲によって自らの作品の多くを失い、また日本的油彩画の形成を目しながらも、十分な理解を世評に得られませんでした。一人ナナカマドのようにいち早く色づいた自らの絵画世界を象徴するかのような一作であるように見えてなりません。

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