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牛島憲之《貝焼場(午後)》

最終更新日:2020年7月17日

画像 貝焼場(午後)

うしじまのりゆき かいやきば(ごご)
昭和10年(1935年)キャンバス、油彩
145.9センチメートル×97.4センチメートル

 海辺に高く築かれた石造りの窯やそこに働く人々の姿が、鮮やかな青、赤、黄などの色点によって描かれて、真昼の強い陽光に照らされた貝焼場の活気が伝わってくるようです。貝焼場とは、貝殻を焼いて石灰を作る所で、戦前には貝がたくさん採れる海岸に設けられていました。この作品は、東京湾の幕張近くにあった貝焼場ですが、今では、こうした光景は見られなくなりました。
 牛島憲之は、昭和8年(1933年)第14回帝展に出品した「貝焼場の風景」が好評を得てから、いくつかの「貝焼場」を連作しました。ここにあるのは、その中の一つで、昭和10年(1935年)第4回東光会展で受賞した作です。
 この頃、牛島は明るい色彩をモザイク風に置いていく点描の技法を試みていました。その後は、淡い色調へと徐々に変化していき、色彩については、この時期の作品は、牛島の中では、異色といえましょう。しかし、牛島は、生涯、のどかな田園風景や人工的な建造物を、造形上の構成に主眼をおいて描いた画家であり、物の形の面白さに魅せられたのであろう「貝焼場」は、構築感があり、牛島の特色がよく現れているといえるでしょう。それに、煙突から上る煙は、情緒的な感じがしますが、これも牛島の作品に度々登場します。
 牛島憲之は明治33年(1900年)熊本市に生まれ、美術学校を卒業した昭和2年(1927年)に「芝居(赤坂並木之段)」が第8回帝展に初入選、昭和21年(1946年)第2回日展で特選となりますが、それから間もなく日展を離れて同士と立軌会を結成、同会を主な作品発表の場にしました。牛島は海外に出かけることなく、日本の風景を取り上げ、美術の激しい流行の圏外で黙々と自己の道を歩み、独創性のある作品を多く残して文化勲章を受章、最後まで制作意欲を失うことなく、平成9年(1997年)97歳の天寿を全うしました。
 この作品は、牛島芸術の特色がすでに芽ばえている、初期の代表作の一つです。

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