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2017年5月11日 市長コラム60 「川崎平右衛門さん」

最終更新日:2017年5月11日

川崎(かわさき)平右衛門(へいえもん)さん

「武蔵野」を広辞苑で調べると、関東平野(かんとうへいや)の一部、川越から府中までの間に広がる地域とあります。古く万葉集では、月が入る山もなく草原より出て草原に入ると歌われ、当時はススキの原野だったようです。一方、国木田独歩が明治31年に発表した随筆「武蔵野」には、秋に紅葉、冬に落葉、春に滴るばかりの新緑が萌える、楢の類の雑木林がその特色で、「ここに自然あり、ここに生活あり」と著されています。

この変化は、江戸時代に年貢の増収に向けて(おこな)った新田(しんでん)開発によってもたらされました。17世紀中頃に開削された玉川上水や野火止用水(のびどめようすい)がこの地域の農業を可能にしたのです。しかし18世紀はじめ、元禄大地震、宝永大地震、富士山噴火と史上最大級の災害の多発も影響して開発は頓挫するやに見えました。農民は凶作とききんの連鎖で大変苦しみます。ここで登場するのが、おなじみの川崎平右衛門(へいえもん)さんです。

現在の押立町で生まれた彼は、現代でいうところの協働と自立の理念のもとに、独自の発想と計画的な施策展開で、行き詰まった新田(しんでん)開発を成功に導きます。その後、幕府代官として美濃国の治水や石見銀山経営でも功績を残し、1767年、74歳で(せい)を閉じました。本市では、すでに広報ふちゅうなどでお知らせしたように、没後250年を記念する事業をいくつも展開します。メーンは5月20日(土曜日)と21日(日曜日)。府中の森芸術劇場でお待ちしています。

画像 府中市長 高野律雄のサイン

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