五姓田義松《パリの風景》
最終更新日:2020年7月17日
ごせだよしまつ ぱりのふうけい
明治16年(1883年)キャンバス、油彩
35.3センチメートル×57.3センチメートル
明治13年(1880年)7月9日、一路パリをめざし、横浜港から出発していった若者がいました。その人の名は五姓田義松(安政2年(1855年)、江戸生まれ)。洋風画家を父にもつ彼は、絵描きとしての十分な素養を備えていましたが、工部美術学校でフォンタネージに師事し、また横浜で英国人画家ワーグマンに学んだことで、さらなる本格的な洋画の修得に燃えたのでした。
自由の国フランスには、誰でも、もちろん極東の外国人でも平等に参加でき、腕前さえ優れていて評価会に入選すれば毎回賞金が給付されるという、厳しくも魅力あるアカデミーという制度がありました。義松がついた先生は、以前百武兼行も学んだレオン・ボナ(1833年から1922年)で、当時の画家に与えられた最高の栄誉であるアカデミーの会員となった人物です。義松は、アカデミー制度のなかでも優れた力量を示し、日本人初のサロン入選作家となったのでした。
ここには青空のもと貴婦人が日傘をさして、馬車の往来する公園を散歩している穏やかな風景が描かれています。この絵の魅力は、ひろがりのある落ちついた構図と、指先から余分な力を抜き、流麗なタッチでまとめあげられた空間にあります。本図は、同じ年に制作された「操芝居」、「人形の着物」とともに、伸びやかな円熟期を迎えた五姓田義松の代表作とするにふさわしい優品といえるでしょう。
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