林倭衛《小笠原風景》
最終更新日:2020年7月17日
はやししずえ おがさわらふうけい
キャンバス、油彩
45.1センチメートル×53.1センチメートル
画面を横切る青い海に白い帆船が一艘、眩しくかがやいています。手前には緑色の木立のあいだに民家が見え隠れし、遠くには海辺に迫る山並みが広がり、その先には明るい空が見渡せます。右側からつよい陽射しが照りつけ、路上には木の影が落ち、建物や山々にもくっきりとした陰影が刻まれています。中央には椰子のような南国風の植物があり、すべてが光のなかに揺らめいているかのようです。
長野県上田に生まれ、東京で育った作者の林倭衛(1895-1945)は、伸びやかな筆致と鮮やかな色彩で、詩情あふれる風景画を多く残しました。林倭衛といえば、のちに関東大震災で官憲に虐殺されたアナーキスト・大杉栄をモデルに描いた《出獄の日のO氏》(1919年、長野県信濃美術館蔵)がつとに有名です。大正デモクラシーの時代に青春を謳歌した林は、「センジカリズム研究会」に加わり、当時のアナーキストたちと親交を結びました。
しかし、かれの画家としての本領は、そうした自由に対する熱情を、抽象的造形で表出するのではなく、美しい風景や人物と出会ったときの新鮮な感動をきわめて自然な表現のうちに描きとめることのうちに発揮されました。二度にわたって渡仏し、セザンヌの足跡を追うなど、セザンヌに深く傾倒した時期もありました。本作でも、民家や山肌にセザンヌ風の描き方が見られますが、何よりも全体の強力な光そのものが、地中海地方の太陽を連想させます。
さて、題名の「小笠原風景」は、裏面の貼り紙に墨書された文字によるもので、当初のものであったかどうかは不明です。作家は1917年に小笠原へ写生旅行し、同年の二科展で「小笠原風景」という名の作品4点で樗牛賞を受賞しています。本作がその出世作の一つであった可能性もありますが、セザンヌをつよく意識している画風からはむしろ滞仏後に制作された可能性があり、もしかすると伊豆地方の湾景かもしれないとも考えられます。
お問合せ
このページは文化スポーツ部 美術館が担当しています。