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青木繁《少女群舞》

最終更新日:2020年7月15日

画像 少女群舞

あおきしげる しょうじょぐんぶ
明治37年(1904年)板、油彩
10.2センチメートル×14.8センチメートル

 陽光の中を赤い袴をはいた少女たちが輪をつくるように駆けていきます。左から右へとほとんど水平に風にたなびく赤いリボンと着物と長い黒髪。板に描かれた小さな作品ですが、生き生きとした少女たちの歓声が聞こえてくるような、彼女たちの青春の一瞬が画面に塗り込められて永遠に定着されてしまったかのような印象を与える作品です。明治後半期の浪漫主義絵画を代表する天才画家・青木繁の傑作の一つです。
 戦前の昭和16年8月に発行された美術雑誌「みづゑ」を見ると、「青木繁 無背窟蔵品附設(むはいくつぞうひんふせつ)」という記事があって、青木繁の小品や水彩、デッサンが紹介されています。そのなかでこの作品もカラー図版で大きく掲載されています。この解説の著者も所蔵者も高島 宇朗氏。編集後記を読むと「青木 繁の親友高島 宇朗氏がその蔵品を中心に解説を試みられました。」とあります。
 高島宇朗(泉郷)は、青木繁と同じ久留米市出身の詩人です。河北倫明が編纂した画集「青木繁」(日本経済新聞社、昭和47年)の略年譜をみると、青木と高島は明治36年の12月に知り合ったようです。このとき青木は21歳の東京美術学校生。9月の第8回白馬会展に「黄泉比良坂」などを出品して初代白馬会賞を受賞、熊谷 守一、森田 恒友、正宗 得三郎、坂本 繁二郎などと交流していた時期です。彼らはいわゆる「青木グループ」と呼ばれ、曙町の青木の下宿に集まっていたようで、高島 宇朗もたまたま同じ曙町に下宿していたことからこの時期頻繁に交遊していたものと思われます。河北 倫明は、明治36年10月から翌年の秋までを青木の「曙町時代」と呼び、「この時期の作品はどれも若々しい力にみち、想はゆたかに、色彩は美しく、作風の上からもあざやかな一時期をなしている」と書いています。有名な「自画像」「享楽」「天平時代」「海」「海の幸」が描かれたのがこの時期です。数からいうと小さな作品が圧倒的に多いのは、曙町の下宿が狭かったからかも知れません。また河北倫 明は、画家の中でこの絵について「高島旧蔵の「少女群舞」という油彩の小品がある。37年の春の作と推定されるが、吹きまくる風の中を裾をひるがえして手をつないでゆく少女達を描いたものである。いかにも印象的な自由なもので、粗い筆触ながらいい密度をもち、なお清新な魅力を失わない。黒田 清輝を通じて学んだ写実的な印象派のやり方を、青木は楽しげに自由化し主観化したのである。青木の見た空気と光の外相は、どこまでも概念的な堅いものではなく、実に生き生きとした情緒にみちたものであった」と絶賛しています。
 青木繁は蒲原有明や岩野泡鳴など明治ロマン主義を代表する詩人達と交友があり、とくに蒲原の「春鳥集」(明治38年7月刊)に描いた挿絵や装幀は高く評価されています。それは文学と美術との優れた共同作業でした。そして、青木に彼ら文学者達を紹介したのがこの高島宇朗(泉郷)なのです。
さて、前述したのように昭和16年の「みづゑ」に高島宇朗が寄せたこの作品の解説の一部を紹介しておきましょう。明治37年早春のエピソードです(この記事の中では作品名は「早春」となっています)。

空は、カラッと晴れあがって、空っ風吹きさらしの、明治三十七年、春まだ浅き、寒く冷たい午後、日没近くであった。
青木は、描いたばかりで、絵具の乾かない此の愛らしい油画を、以前から彼が所持していた欅箔置の古額縁の小型な、くすみ剥げたのにはめ込み、長い吊り紐を付け、提げて来て、明かりぐあいを見定め、宇朗が室の一方の柱にかけ下げ、
今、関口の滝の近くで、可なり烈しく吹きまくる風の中を、嬉々として快走し去る学校帰りの少女達を見たので、描いて来ました「よく出来ました」と、さも、うれしそうに、ながめ、よろこび、宇朗も一緒によろこんで、話しこんで、やおら其のまま、此の画を置いて、彼は帰った。
くれるとも何とも云わぬ。宇朗も問はぬ。(中略)
後、一二度、これに加筆した。是が、どこまでも突っ込んで、突っ込んで往って、止まるところを知らざる徹底不撓の研究心、青木の癖だ。(中略)
画面の左端に最初の空色が少しばかり残っている。元来、非常に鮮新なものであったのが、加筆と、経年の変色で重くなった。それでも、さすがに彼凝心の銘作。調子は少しも狂っていない。
空に煽られ、揺曳、泛蕩する長袖の流動、波瀾。乙女等の、若さ、柔軟、しなへ。(後略)」(原文は旧漢字旧仮名遣い)

と、この後は高島 宇朗がこの絵に寄せたロマンティックな詩が続くのですが、今回はこの辺で。いづれにしても、これは若き天才青木 繁が人生の高揚期に一瞬の青春を捉えた宝石のようなタブローといえるでしょう。しかも、一度気に入った小品にもかかわらずその後何度も筆を加えたらしいことなど興味深い回想です。ちなみに、このころには既に画塾不同舎で知り合った女性画家福田 たねとの恋愛が始まっていたのです。

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