栗原一成公開制作プロセス
最終更新日:2025年8月30日
2025年4月26日から始まった公開制作。ここでは、その過程をご紹介します。
最終日 8月16日
先日開催したワークショップで制作した作品を、展示に伴う移動のためにバラします。細長い板を繫ぎとめている留め具を、丁寧に抜いていきます。作業をしながら栗原さんは、制作期間中に交流した鑑賞者とのエピソードを教えてくださいました。ある鑑賞者は作品を「絵として成り立っていないでしょ!」と指摘し、栗原さんは「成り立っていないかもしれません」と答えたそう。またある小学生は、「何を描いているかわからない!」と怒ったあと、しばらくの時間を経て「これ〇〇に見える!」と言い始めたといいます。栗原さんが「さっきまで何に見えるかわからなくて怒ってたじゃん」と問うと、その小学生は「だんだん見えるようになってきた」と言ったそうです。栗原さんによると、鑑賞者は大人子ども関係なく、意味を求める人と全然そんなことは気にしない人の2パターンがいるとのこと。そのような振り返りをしながら、作品を壁に展示する作業などが着々と続けられました。
8月2日、3日
栗原さんは、悩んで描き足していた作品を指差して、昨日終わりにしたんだけどどう思うか?と尋ねます。どこで終わりだと感じたのですか?と問うと、「視覚的に判断するところと視覚的に判断しないところがある。視覚的にいうと、バラバラしているけど一つでもあるという矛盾している状況。バラバラに偏っているでもなく、一つにも偏っていない感じ」と教えてくださいました。栗原さんは、訪ねてきた人とも積極的に交流します。この日の会話のテーマは、描かれたイメージについてでした。
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鑑賞者「こういった部分(四角形の中に○や△が並ぶ図像)は何かイメージを表しているのですか?」
栗原さん「まったくイメージはない。勝手にこうなっていた」
鑑賞者「でも何かしらに見えたりもしますよね。俯瞰した街の絵と言われることも多いと思います」
栗原さん「色んなことが生まれるような描き方をしているから、生まれるのは必然。そうじゃないと描いていておもしろくない」
鑑賞者「そう見えても、見てもいいということですか?」
栗原さん「そう見えても、見ても、全然いい」
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どうやら栗原さんの絵がイメージをたくさん内包しているのは、筆をくるくると円を描くように動かすところからくるようです。さらに栗原さんは絵の「ダサさ」について言及します。自身の絵について「絵画言語をうまく使えていない絵がダサいとすると、自分の絵はダサく見えているのかもしれない。でも、もしかしたら美大受験で身にしみついた絵画言語が出てしまって、ちょっとうまくなっているのかもしれない」と言います。栗原さんは葛飾北斎の下絵を下手であると言い、ゴッホは晩年絵が下手になっていったと言います。しかしむしろそれらを見て、下手とか上手いとかのレベルで描いていないのだと思って感動した、と話しました。
7月12日、13日
6月下旬に描くのをいったん止めた作品に、また向き合い始めた栗原さん。以前と同様、床に横になったりしながら描いています。再度手を加えたくなった瞬間があったのですか?と問うと、「基本的にいつ終わってもいい気でいたけれど、ここ2、3日悩んでいる。6月21日にもう止めていいと思っていたのに、数日前に理由はわからず描かないではいられなくなってしまった」とのこと。何年も昔の絵に手を入れたくなるのはよくあることだそうで、しかし手を加えないままの作品もあるといいます。手を加えたくなる理由については、なかなか表現が難しいと前置きをしつつも「描き方に偏ってしまうと、それは見えないようにしなきゃいけない」、「完成と未完成が同じ状態になっているのが理想で、完成させようとしているのが見えてしまうのが一番良くない」と言葉にしてくださいました。栗原さんにとっての良くない状態は、自身の絵が理解できて終わってしまうことであり、良いことは自身の絵が理解できないことのようです。よく分からないけれどスッキリしている状態を目指しているといいます。「経験に基づいた絵画言語を操るような描き方をしたくはないということですか?」と尋ねると、哲学者で批評家の浅田彰の『構造と力』を取り出し、ある一節を読んでくださいました。
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いまさらミコシをかつぐのもシンドイけど、二階の張出し窓で高みの見物ちゅうのもイヤミッたらしい、こうなったらミコシの後についてウロチョロするか、とは、一刀斎森毅の言である。(浅田彰『構造と力』、勁草書房、1983年、8頁)
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浅田彰が引用するのは数学者である森毅の言葉であり、その感覚に栗原さんは自身の感覚を重ねて説明します。「絵画言語は全否定したくても全否定できない。身についてしまっているから消すことはできないので、それを受け入れつつ否定したい。渦中に入っていくのはシンドイけど、それをバカにするのも嫌だし、じゃあどうするか。ミコシの後ろをうろちょろしたい。否定しつつ肯定しつつ」。
6月15日
栗原さんのもとには、描く姿を見ようと人々が多く集まってきます。知り合いを見つけると、栗原さんから感想を聞かせてほしいと話しかけ、作品について意見をもらいます。一緒に見る位置を変えて、様々な角度から鑑賞していました。板の地が見えている部分についての話題になると、栗原さんは、地を意識的に残しているわけではなく結果として残ったのだと話します。「このまま描き続けてもしばらくはこの地は消えないと思うが、半年くらい描き続けたら結果として埋まるかもしれない。板の地を気にして描いていない」と言います。結果的にでも地が残る理由を問うと、塗っていくのではなく螺旋的に描いていくからだと説明してくださいました。
6月14日
壁に立てかけた絵の下側を描くときは床に横になり、背の低い机に描くときには腰をかがめたりと、様々な体勢で描いていきます。ひとつの作品に集中していたかと思えば、以前描いていた作品に手を加え始めました。しばらく制作に没頭したのち、栗原さんは「やっぱり描いてよかった!楽しい!よくなったかはわからないけど、前の方が堅かった気がする」と、納得の表情を見せました。
6月1日
栗原さんに質問を投げかけてみました。
Q. ゆっくりと動く筆の行き先がどこか知りながらそれをなぞっているのか、あるいはわからない中で見守っているのか。
A. ゆっくり動いていると頭が先か手が先かわからなくなってくる。遅れて意識がやってくるような気がするが、100%ではない。でも確実に言えるのは意識が後で手が先でないと、腹の底から笑えない。例えばまっすぐの線を引くぞ、と考えてまっすぐの線を引くのはおもしろくない。
Q. 一方で、絵具をとる動作は筆の動きに比して速いですが、描くときと思考は違うのでしょうか。
A. 色に執着しないで色を選びたい。仏教思想的にも色は捨てないといけない。最近ようやくどうでもよくなってきた。色を決めるときは部分を見ている。行為(意識)が切断する時間があるが、そのときに色を決めている。キャンバスから離れて全体を見るなどして、客観的に決めることは一切しない。絵画言語が働かない状況で判断したい。絵画言語は個々人の歴史性によってそれぞれ異なるものだが、私は絵画言語内で整えることは否定したい。整えることを全否定するわけではないが、工芸的になってしまう。
5月31日
大きいキャンバスを新たに作るため、木枠に使う木材と画布に使う生地を公開制作室に運び入れました。キャンバス張り器で生地を伸ばし、ガンカッターでとめていきます。昔はキャンバスの側面に針を打たず、裏面に打つのが流行っていたけれど、栗原さんはそれが嫌だったと話します。90年代後半は、なぜ裏張りしないのかと聞かれてばかりで、「キャンバスの側面も画面のひとつで額の代わりだ」と説明されても納得がいかなかったといいます。
5月4日
大きなキャンバスを栗原さんはじっと見つめます。たまに頷き、大きく息をはき、しばらく時間が経つと、少し迷いを見せつつも筆に絵具をとります。画面の前に座り込むと、慎重に筆をキャンバスにあて、ゆっくりと一筆書きのように動かし始めました。止まったかと思うと一か所で回してぐるぐると塊を描きます。筆が動く先を知っているようにも、あるいは行き先がどこか見守っているようにも見えます。絵具がなくなってきても、かすれたまま動かし続けます。静かな部屋には、ざらざらざら……と小さな音が流れています。筆が止まると、絵具をぬぐい、オイルをつけた筆先に別の絵具をとります。時にはパレットの上で大胆に絵具を混ぜる場面もありました。
4月27日
脚立を使い、背丈よりも大きなパネルを前に描いていきます。2日間で画面が賑やかな色と形に満ちました。栗原さんは、作品はまだ未完成のため画面も変わっていくが、どうなるかはわからないと言います。今見えている画面も、数日後にはまた上から絵具が重ねられ、新たになっているかもしれません。
初日 4月26日
1日目、10時過ぎに来館した栗原さんは、細い筆を弾むように使って描き始めました。闊達な線とかすれた面が連なっていきます。部屋には15枚の板をつないだ大きなパネルとキャンバスが1枚、そして雰囲気の異なる4台の机が互いに距離を保った位置に置かれています。机はどれも古道具店で購入したものだそうです。和風の脚がついているものから白く塗装したベンチ型のものまで、それぞれ個性のあるデザインです。木材の質感も異なり、唯一の共通点は膝下ほどの高さでしょうか。すべての机の天板は絵具で隙間なく描かれています。近づいて見ると、隙間がないだけでなく、何度も色を重ねられていることが見てとれました。部屋には油絵具と木材の匂いが満ちています。これらのしつらえは、公開制作が始まる1週間前に済ませていました。
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